洋服の豆知識
日本人が最初に洋服らしきものを見たのは?
日本人が最初に洋服らしきものを見たのは、文献によりますと1543年(天文12年)に、 ポルトガル商船アバイス号が嵐のために薩摩の南方にある種子島に漂着したときに、 船員達が洋服らしきものを着ていたのを、助けた漁師達が見たのが最初であろうと 言われております。その時に助けてもらったお礼の一つとして、船員達が着ていた 洋服を置き土産として置いていったのを、漁師達が手にしたのが最初であろうと 考えられます。 それを貰った種子島の領主(網元 船屋源兵衛)が、薩摩藩主 島津侯に献上したと 記されております。もちろんその当時は、洋服とか背広の呼称がわからないので、 殿様が大名達に「一体、これは何と言うものか」と申しつけたところ、色々な意見が 出され、今で言うズボンには、折り目など付いておりませんので、「これは筒つ包で ごわす」と、また胴衣(上衣)は、釦を止めると袋に見える(この時の上衣は詰め襟の ような型であった)ので、「これは段袋でごわす」と言う事になり、殿様に「これは筒つ 包段袋でごわす」と申し上げたと記されております。以後、一般に洋服を見かけるように なったのは、天文18年頃でスペイン人フランシスコ・ザビエルがキリシタン伝導の 目的で鹿児島に上陸してから、洋服を見かけるようになったと思われます。 最も大きな出来事としては、明治5年11月12日に太政官布告によって、洋服を 着用すべしと認められた事であります。の日を記念して、現在も11月12日に業界を 上げて明治神宮において祝賀記念行事を行っております。
背広(スーツ)の語源
背広の誕生は、比較的新しく1870年代以降のものと思われます。それ以前の上衣は フロック・コート(前裾が直角な型)で、そしてモーニング・コート(カット・ウェイ)に変わり、 次第に現在の軽快なデザインに変化してきたと考えられます。 我が国における背広の名称(語源)は、二説伝えられており、一つはモーニングの 背に細くせまい縫い目(アーチライン)があったものを、その縫い目を無くし背の部分が 広くなったので、背広と呼ばれるようになったという説と、もう一説は英国の サビル・ロウ(洋服の本場)から由来してシビル・クローズが訛って背広と呼ばれる ようになったとの二説があります。 今日では、背広(スーツ)は国内外を問わず最も多く着用されており、世界の ユニホーム(制服)と言っても過言でないと思います。
両前上衣(ダブルスーツ)D.B.
両前上衣は名称の通りで、前側は左右どちらにも着用でき、元来は船員が着用していた ものが始まりと言われております。甲板(船上)で寒風のときなど、前が両前(二重)に なっているので寒さしのぎと、また風向きによって釦を左右に取替えて風よけとして着て いたと言われており、当時は釦の数も多く付けられて実用的であったものが、時代と共に Vゾーンの開きも長くなり、一般化したものであります。
イブニング・コート(燕尾服)
イブニング・コート(燕尾服)は夜会(晩餐会)用等、夜の正礼装として最高の正装であります。 スーツ類の中でどんなにすばらしいスーツを着ても、燕尾服のそばに寄ればその比では ありません。 又、誰が着ても様になるのが燕尾服でもあり、結婚式でも一番多く愛用されておます。 世界的な行事の一つでもありますノーベル賞授賞式の会場にて、新聞記者はもちろん、 テレビカメラマンまでが燕尾服を着装していることからしても、これ以上の正装はないと言えます。 国内におきましても、国賓を迎えての宮中晩餐会、または文化勲章の授賞式等でも、 必ず燕尾服を着装して出席をされております。日本も先進国の一つであると言われて おりますが(先進国の尺度がどこで決められるか知りませんが)、服装も文化の一部として、 服装に対する知識をより勉強して頂いて、楽しくお召しになって頂きたいと思います。
モーニング・コートの語源
モーニング・コートは、昼間の正式礼服としての役割を持つようになりましたが、モーニング・ コートの前身は、フロック・コートであったと言われております。フロック・コートの前裾は、 スクウェアーカット(直角)でありましたが、前裾を丸くカットして着用されるようになりました。 カットした理由は二つほどあり、一つは乗馬のとき前裾を背の後ろ釦に止めて、馬の背で 汚れないようにしていたのが、いつの間にか前裾カットして丸くした説と、もう一つは食事中に 前裾を汚してしまい、前裾を丸くカットした説とあります。ヨーロッパでは前裾をカットしたので カッターウェイとも呼ばれております。 モーニング・コートの背中のウェスト位置にある釦は、前裾を止めていた名残りであると思われます。
タキシード(TUXEDO)の云われ
タキシードは、紳士服の発祥の地イギリスでは「ディナー・ジャケット」と呼ばれているように、夜会用の準正装として今では「夜の主役」になっております。タキシードの原型は、正礼装の「スワロウ・ティルド・コート(燕尾服)」の腰から下の部分をカットして、会合に着用したものと言われておりますが、これをアメリカで取り入れて今日の「タキシード」の呼称となったのが始まりです。1880年代にフランスの名家を祖先に持ちタバコ会社を経営しニューヨーク近郊のタキシード地方に広大な土地を所有するピエール・ロリーランドという人が、この地方の社交場であるタキシード・カントリークラブ恒例の晩餐会の服装として着用したことがきっかけとなって、アメリカ社交界に広まったと言われております。 戦後の流行がアメリカナイゼーションであったことを物語っておりますが、本場イギリスでは「ディナー・ジャケット」と呼び、フランス、ドイツでは「スモーキング・ジャケット」と呼ばれています。この両国では、ディナーの席上、女性の前では喫煙せず、別室で一服して席につくことをマナーとしていることから、そう呼ぶようになったとのことです。

タキシードに用いる「カマー・バンド(Cummerbund)」は、イギリス大使がインドに着任した際、あまりの暑さにベストに替わるものを思案し、インド人のターバンにヒントを得て、カマーバンドとして腹に巻いて用いたことが始まりと言われております。尚、カマーバンドと蝶タイは、同色か同系色を着用することが基本になっております。
サスペンダー(ズボン吊)
サスペンダーにはクリップでズボンを吊り上げるタイプと、ボタン留めのクラシック調の二つのタイプがあります。現在の形のズボンが普及し始めた17世紀後半から使われるようになったと言われております。理由はまだズボンのサイズが少なく、ベルトも一般化していなかったために、細身の人がズボンを吊るために使用したものであります。靴下の吊り(ガーター)と同様に下着の一部として人目のさらすものではなかったと思われますが、最近は色柄も増え、おしゃれとして見せるために使用される方も多くなってきました。
チノ・パン(綿綾ズボン)
チノ・パンとは、チノ・クロスのパンツの省略で、米軍将校の制服用の丈夫な綾織りの綿布が中国で作られた事から、チノ(チャイナ)クロスという名前が付いたと言われております。1995年(平成7年)に金曜日をカジュアルデーとし、背広とネクタイをやめて出勤するという運動が一部で広まりました。ありふれたゴルフウェアーから脱出しようとする試みの現われの一つで、紺色のブレザーなどに合わせてチノ・パンが着用されております。しかしながら着こなしが大切で、靴やベルトなどにも気を使わなくてはなりません。またシャツも軽快なスタイルにされるとなお楽しくできると思います。
チャックの語源
 チャックは英語でファスナーとかジッパーと呼び、ファスナーとは締めるものの意味。ジッパーは開閉時の音に擬した言葉といわれます。チャックはれっきとした日本語であります。チャックが日本で製造されるようになったのは、昭和の初期で口の閉まり方が巾着のように音がするので、これが訛ってチャックと呼ばれるようになったといわれております。
ツィードの語源
 スコットランド語でトゥイル(綾織)の意の訛ったものとの説と、この織物の産地を流れるトゥィード川の名にちなんでつけられたとの二つの説があります。
パンタロンの語源
16世紀イタリアの道化師パンタローネが愛用していたダブダブのスラックスで、彼がそれをはいて客を笑わせていたのが始まりと言われております。
ブレザー・スーツの語源
ブレザースーツにまつわる物語は多くありますが、その中から比較的有力と思われる説が二つあります。 ひとつは、昔、イギリスにブレザー(H・S・Blazer)という名前の船長がおり、いつも乗務員がだらしない格好をしているのを見かねて、ユニフォームを作って与えた。ブルーサージの金ボタンの付いたジャケットで、これが後にブレザーと呼ばれるようになったと言う説と、もう一つの説は、ある年のオックスフォード大学対ケンブリッジ大学のボートレースでの事、ケンブリッジはセントジョーンズカレッジ(レディマーガレット・ボートクラブ)のメンバーが真紅のユニフォームに身を包んで登場した。これを見た観客中から「オーブレザー(Oh Blazer)」-まるで炎みたいだ-の声が上がりこれがブレザーの呼び名の始まりと言われておりますが、どちらにしてもイギリスに起源があることには間違いないと思われます。
コートの語源
古代ゲルマン語のコーツエ(荒いウール地で仕立てたマントの意味)にはじまり、中世ゲルマン語ではコーツオまたはコーツアと呼ばれるようになり、中世ヨーロッパ各国に広まっていった。中世フランス語ではコット、中世イタリア語ではコッタ、中世英語ではコットとそれぞれ呼ばれましたが、当時は外套ではなく、シャツと上衣の中間の性格を持つものと考えられておりました。 最も古い形式の釦は、紐を結び固めたもので、5世紀頃の中国に始まると言われております。しかし、最初は紐で作ったループに止めており、ボタン・ホールの発生はずっと後の時代となります。
カフ(スラックスの折返し)の由来
1860年までのズボンは、タイツのように脚にぴったりとして、裾口のストラップを靴の土踏まずに通して止めるようになっておりましたが、その後ストラップが消えて次第に裾幅が広くなってきました。そうなると戸外では、ぬかるみや藪で裾口が汚れるので、泥よけのために裾を折り返していたのが一般化したものと思われます。
チョッキの語源
直に着る意味から直着と呼ばれるようになり、それがチョッキとなったと言われております。
ラグラン・コートの語源
1885年(明治18年)頃、クリミア戦争勃発当時のイギリス軍司令官ロード・ラグラン将軍が、戦地で部下達の防寒具の不足に困り、臨時に倉庫にあった使用済み食料袋の角をカットして、肩抜袖オーバーを即製させ、これによって首尾よく戦勝して凱旋したと言われております。そしてそれ以来この型のオーバーをラグランコートと呼ぶようになったと言われております。
チェスター・コートの語源
19世紀イギリスの宮内官(日本で言えば宮内庁)の職員で、チェスターフィルドの名にちなんで付けられたと言われております。コートの丈は長めでウェスト位置で細くして仕上げ、上衿にはベルベット等をかぶせてアクセントをつけております。色柄は黒、紺、グレーが主流として用いられております。今では礼服用のコートとして一着は必要と言えます。
ダッフル・コートの語源
ベルギーのダッフルという町で、古くから織られていた厚手の生地をダッフルと呼んでおりましたが、第二次世界大戦でイギリス海軍がこの地で作られたコートを採用したことによっております。釦の代わりに紐で結び、流木で作ったものを釦代わりとしていたものであります。今でも若者に最も人気のあるコートの一つであると言えます。
ハンカチが正方形になったのはいつ?
昔のハンカチは長方形、三角形などであり、フランスのルイ王朝時代の王侯貴族はそれぞれ好みの形のハンカチで妍を競ったが、ルイ16世治世の1785年フランス革命の5年前、突如としてハンカチは正方形以外は使用してはならぬとのお触れが出て、それ以来、正方形となりました。
二次使用禁ず テーラーマツダ